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近代日本におけるネイル

明治時代には、フランスからマニキュア術が伝えられ「磨爪術」(まそうじゅつ)
として発達していきました。

70年代、日本国内ではアメリカ西海岸ブームが起こり、一つのカルチャー
としてネイルの専門サロンが紹介されました。

その後、マニキュア技術は、美容室のサロンメニューに取り入れられ、
現在のネイル技術の基本となっています。

当時のスカルプチュアネイルは歯科用のレジンに近く、硬度がありすぎて
柔軟性に欠け、薄く作ると割れやすいタイプのものでした。

しかし筆積み法で作られていく方法論は、今日のスカルプチュアに近いものです。

それ以前のものは、ものまーとぽりまーを陽気に入れ、ウッドスティックで
混ぜる使い方のものがありました。

70年代後半、美容業界でもアメリカからネイル技術と商品の導入が
始まります。

80年初頭、ネイル技術を職業とする、マニキュアリストやネイルサロンが
出現しました。

1985年日本ネイリスト協会が設立し、マニキュアリストは日本では
「ネイリスト」と呼ばれるようになります。

90年代にはネイル専門誌が次々と発刊され、ネイルムーブメントが
起こっていきます。

ケアの重要性が見直され、瞬く間にネイル派市民権を持ち始めます。

そこに、日本人独特の手先の器用さが手伝ったのは言うまでもありません。

イクステンションでなければ表現できない、イクステンションアートなどは
その最たるものです。

2000年、ジェルブームなども拍車をかけ、ネイリストは職業として
社会的に安定していきます。

2006年、日本ネイリスト協会がNPO法人化。

現在、多くの人々が「ネイル」というキーワードによって、
心豊かに癒される時代へと向かっています。

江戸時代

江戸時代、紅花を使った染色技術が中国から渡来し、紅花の栽培が
盛んになりました。

それは、化粧にも利用されるようになります。

同時に爪にも紅を塗ったので、「爪紅」(つまべに)と呼ばれました。

また、紅花を使って唇に紅を刻塗る化粧は「口紅」と呼ばれました。

この時代の文献によると、赤いホウセンカの花弁を杯に入れ、ミョウバンを
加え花弁をつぶしながら混ぜ、骨でできた専用の針を使って爪を塗っていくと
記されています。

染料ですから、乾いた爪紅は水で洗っても落ちないで長く楽しめたようです。

平安時代

平安時代、遊女によって化粧が下層階級にまで広がったといわれています。

これは、遊女が、宮廷の婦女のような装いをしたためで、化粧が一般に
知れ渡るようになりました。

ホウセンカ(鳳仙花)とホオズキの葉をもみ合わせて爪を赤く染める「爪紅」も
行われていました。

ホウセンカを別名として「ツマクレナイ」と呼ぶのはマニキュアのように、
花で爪に色をつけたことからきています。

飛鳥・奈良時代

日本でも古代より、赤に対しての強い執着心を持っていたといわれます。

当時、自然化の全てのものは神によって創造され、また、その神から
作られた草木には霊が宿っていると信じられていました。

それゆえに霊の宿る薬草が病気の悪霊を取り除くと信じられていたので、
衣類などの染料として使われるものには全てが薬草から選ばれていました。

あすか・奈良時代の赤は「紅殻」が用いられ、額の中央や唇の両端に一種の
飾りとしての役割を果たす化粧をしています。

その延長線上として、指先を赤く染めていたとも言われていますが、これも
アクセサリーとしての感覚に近いのでしょうか。

紅が彩りを添えるだけではなく、造形的な角度から用いられるようになったのは
この飛鳥・奈良時代からで、化粧史上画期的なことでした。


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